なぜ勝新太郎は、日本人に愛され続けたのか〔2015年10月22日(木) 現代ビジネス〕
2015年10月22日(木)
なぜ勝新太郎は、日本人に愛され続けたのか
~最後の弟子が明かす、「昭和最後の豪傑」の素顔
田崎健太『偶然完全 勝新太郎伝』
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45902
勝新太郎(1931-1997) 写真:操上和美
日本が誇り、日本人が愛してやまなかった名優・勝新太郎。今年は、代表作のひとつである『兵隊やくざ』シリーズ一作目の公開からちょうど50年となる。勝を慕った人の数は計り知れないが、「最後の弟子」と呼ばれたのが、ノンフィクションライターの田崎健太氏だ。
週刊誌記者時代に勝新太郎の人生相談の連載を担当した田崎氏は、晩年の勝新と濃密な時間を過ごすことになる。知られざる勝の「素顔」をまとめた『偶然完全 勝新太郎伝』が、10月21日に発売された。本書の中から、勝新との強烈な出会いが描かれた部分を特別公開する!
■「お前、勝新の連載担当になれ」
1994年、週刊誌が激しい部数争いを繰り広げていた時代。『週刊ポスト』の若手編集部員だった筆者は、ある日突然、部内で閑職的扱いを受ける「連載班」への異動を言い渡される。不貞腐れる筆者はまだこのとき、自分が昭和最後のスターの「最後の弟子」になるとは思いもしなかった――。
週刊誌の激しい部数争いの渦中にいることに愉しみを覚えていたぼくにとって、連載班への異動は屈辱だった。
班異動を告げられた翌日、いつもより早めに編集部に行った。午前中の編集部には人はほとんどおらず、一番前の長机の前で編集長がぼんやりと座っていた。ぼくが机を片付けていると、編集長から手招きされた。
「お前、連載班に回されたと不貞腐れているのか?」
「ええ……、まあ」
ぼくが頷くと、編集長は苦笑した。
「これにはちゃんと意味があるんだ。勝新の連載をやる。そのためにお前を連載班に回したんだ」
「勝新?」
思ってもいなかった名前だった。
「勝新って、あの勝新ですか?」
「そう、勝新太郎の人生相談を始める。他はやらなくていい。勝さんにくっついて、色んなことを学んでこい」
あの勝新と一緒に仕事が出来る。前夜の不機嫌な酒が一瞬にして吹き飛んだ。
勝新太郎の映画をそれほど見ていた訳ではない。ぼくにとって、彼は銀幕の中の俳優というよりも、テレビのワイドショーに出ている男だった。
1989年に公開された『座頭市』は成功し、続編が準備されるようになった。その人気を当て込んで、麒麟麦酒は勝を「キリンラガービール」のコマーシャル『ラ党の人々』のメインキャラクターに起用した。
勝の演じる中小企業の社長は亡き妻の四十九日法要の後、ビールを飲みながら、若い秘書との結婚を切り出す。突然の父親の再婚宣言に、子どもたちは動揺するというのが第一話だった。秘書に松坂慶子、長女に手塚理美、その夫に国広富之、次女に富田靖子が配された。
演出はつかこうへいが手がけ、一年間で完結。つかは勝と仕事が出来ることを喜び、同じ設定と配役で映画を撮りたいと話していた。勝の人生の歯車は再びいい方向に回り始めたように見えた。
ところが──。
■「大麻で逮捕」事件の舞台裏
第一話のコマーシャルが流れ始めた翌日の1990年1月17日(現地時間1月16日)、勝はハワイのホノルル空港で逮捕された。大麻9.75グラムとコカイン1.75グラムの入った小さな袋を下着の中に隠し持っていたのだ。1000ドルの罰金刑で即日釈放されたものの、コマーシャルは一日で打ち切りとなった。
国外退去処分を受けた勝は不服を申し立てて、ハワイに滞在し続けた。日本に帰ってくれば、麻薬を持ち出した容疑で取り調べられる。それを避けるためだと言われていた。
勝が日本に戻ったのは、事件から1年4ヵ月後、翌91年5月12日だった。ハワイからの帰りの飛行機の中でビールを飲みながら「大統領や海部首相の代わりは出来るけど、勝新太郎の代わりは誰が出来るんだ?」と同乗した報道陣に話した。大きなつばの帽子にサングラスを掛けて空港に降り立つ勝の姿は大きく取り上げられた。
5月21日、勝は麻薬・大麻取締法違反で逮捕された。問題となる入手先については、飛行機の中で見知らぬ人から大麻とコカインを受け取ったと勝は言い張った。
『週刊文春』に掲載された勝の手記には、取り調べの検察官とのやり取りが再現されている。
〈「あなた自分で言っていることが信じられますか」
「信じられません」
「うそだからです。もし本当ならもっと一生懸命自分を助けようとする力が働くはずだ」
「わかりません」
「他人がモノをプレゼントしてくれたら、顔を見るかお礼くらい言うでしょう」
「見なかった」
「あなたはそんな人を最初から見ていない。つまり現実にはそんな人はいなかった」
「いました」
「知り合いですか」
「違います」
「顔も見ていないのに、知り合いかどうかどうしてわかるんですか」〉
ふざけたやり取りである。取り調べの検察官が苛立ったであろうことは想像できる。
92年3月27日、勝は、懲役2年6月、執行猶予4年の有罪判決を受けた。そこで勝はこう言った。
「今後はパンツをはかないようにする」
大麻事件などを起こした芸能人の場合、記者会見では一様に「申し訳ありませんでした」と頭を下げる。しかし、誰に対して申し訳なかったというのか、はっきりしない。
事件の影響を被った仕事関係者に謝罪するのは分かる。しかし、「お騒がせして申し訳ありません」と言うのはどうだろう。騒いでいるのは報道陣である。
カメラの向こうに視聴者がいるとしても、報道陣に頭を下げるのは違和感がある。反省した顔を見せて、批判の声が通り過ぎるのを待っているだけなのだ。
しかし、勝は違っていた。国家権力を相手に冗談で混ぜ返して煙に巻こうとしていた。俳優としてよりも、ぼくは彼に人間として興味があった。
■「俺は絶体絶命のところで遊びたい」
ぼくが連載班に配属されると、脚本家の内館牧子と勝との対談記事を掲載し、翌週から連載が始まることが決まっていた。対談場所は溜池の交差点に近い、しゃぶしゃぶの店だった。
7月に入って、気温は30度を超える日が続いていた。この日も暑く、太陽が落ちても道路は熱を持っていた。むっとした空気をくぐって地下の店に下りていくと、すでに内館が待っていた。
「『不知火検校』はすごかった。勝さんに会えるのならばと一時間も前に着いていたのよ」と彼女は興奮気味だった。
勝は94年5月から6月に掛けて、十年ぶりの舞台となる『不知火検校』を銀座のセゾン劇場で上演していた。ぼくたちが会ったのは、その直後だった。
勝は約束の時間を少し過ぎてゆっくりと階段を下りてきた。ハワイから帰ってきた時と同じように、つばの広い帽子を被っていた。白い柔らかそうな生地のシャツを第二ボタンまで開けて、メキシコ映画の登場人物のようだった
「俺としゃぶしゃぶか? 一つ〝シャブ〟が多いんじゃないか?」
にっこりと笑うと、席に着いた。サングラスを外すと大きな目が印象的だった。
「勝さん、今度『ポスト』で人生相談を始めるんですって?」
内館が口を開いた。
「知らないよ。人生相談なんて、俺がお願いしたいもんだよ。執行猶予四年の俺に人生相談するというのが面白いと思って引き受けたんだ」
勝は笑った。
「捕まった時、反省した顔をしなきゃいけないと思って、鏡を見た。反省した顔ってどんな風だろうとやってみたんだけれど、どうも上手くいかない。俺は反省に向いていない顔をしているんだな」
内館は勝の著書『俺 勝新太郎』を取り出した。「この本の中に凄く好きな文章があった」内館は本を開くと、声に出して読み始めた。
「俺の人生は年がら年じゅう、切羽詰まっている。人生の落伍者にいつなるかと楽しみながら、心配して歩いてきた」
神妙な顔で聞いていた勝は、「そんなこと書いたっけ? 全然覚えていない」と冗談っぽく返した。
「人生を踏み外すのは楽しいと言う人は多い。いい格好してね。でも勝さんみたいに、心配してとはなかなか言えない。ここが逆に男っぽくて素敵だった」
「あのね、人生っていうのは、俺から見りゃ、東海道を歩いている人の方が間違っているんだよ」
「東海道ですか?」ぼくは口を挟んだ。
「そうだよ、あの東海道だ。広くてみんなが通る道だよ」
東海道というのは、誰もが安全だと思う生き方を表しているようだった。
「こういう風に、いつ落ちるか分からないところに自分を置くとする」
勝はビールが入っていたグラスを手に取ると、底が半分以上、テーブルの外にはみ出すように置いて、ゆっくりと手を離した。
「落ちますよ」
内館が小さく叫ぶと、勝はグラスを両手でさっと掴んだ。
「こういう風になった時の遊びがしたいんだ。絶体絶命のところで遊びたいの。子どもの頃から、高所恐怖症なのに断崖絶壁みたいなところに行くのが好きだった。もう、これ以上後ろには行けないという時に遊ぶ。これをやったら落っこちちゃうなんていう時に、わくわくしてくるんだね」
■内館がつけた連載タイトルの意味
勝はぼくをじっと見た。
「行ってはいけない道があるとする。どうしてなんだと聞いても理由は分からない。ただ、この道を行って帰ってきた人はいないという。じゃあ、行ってみよう。それが俺なんだ。行って落っこちてもいい。でも行かないと落ちるということも分からない」
勝の大きな目は綺麗で、吸い込まれそうな目とはこんな目のことを言うのかと思った。
「落ちることもあれば、道を踏み外すこともある。踏み外して、ここをぶつけたとする」
勝は膝を叩いた。
「痛いという顔をしちゃいけないんだ。痛いという顔をしてもしなくても、どっちにしろ痛いんだから。そんなら、この痛み大好きっていう顔をするんだよ」
ハワイで逮捕されて帰ってくる時に、強気の発言で通したのは、こういう気持ちだったのだろう。
「痛み、失敗というのは大切なんだよ。人間は自分が痛い思いを経験するから、人の痛みも分かる。情を知る訳だ。情を知ると、自分が不幸になっても人には幸せになって欲しいと思うようになれる。少しぐらい自分が不幸になってもいいという考え方が出来るようになる」
仕事中であるので、ぼくは酒を控えるつもりだった。ところが「飲めるんだろ」と勝からすすめられ、ぼくはグラスを重ねた。黄金色のしゃぶしゃぶ鍋で食べる肉は美味だったはずだ。しかし、その記憶はほとんどない。とにかく勝の話に聞き入っているうち、あっという間に二時間以上が過ぎた。
「今後は、ぼくが勝さんのところに伺って、お話を聞きます。色んな質問が来ると思います。中にはつまらない質問もあるかもしれません」
最後にぼくが言うと、勝は小さく頷いた。
「そういう質問もあるだろうな。落ち葉は秋風を恨まないって知っているか?」
「落ち葉は秋風を恨まない?」
「そうだ。この間の座頭市の映画でも科白に使った。風が吹かなければ、落ちなかったのにって恨む人間は多い。でも落ち葉は恨まない。人間っていうのは、何か恨むところが欲しいんだ」
一つ一つの言葉が面白かった。今まで会ったことのない種類の人間だった。多くの人間の例に漏れず、ぼくは初対面から彼に惹きつけられてしまった。
人生相談のタイトルは内館がつけてくれた。
〈何処で果てよと〉
何処で果てよと誰が泣く──歌の一節にもなっている、座頭市の生き様を表した言葉である。
■内館を怒らせた勝
『週刊ポスト』のほとんどの記事は、現場を取材した記者が書いたデータ原稿を元に、社員編集者が構成を考え、アンカーマンと呼ばれるフリーランスの書き手が記事にまとめていた。この対談も、録音テープを文字に起こしたものを元に、ぼくが構成してアンカーマンに原稿を依頼した。
上がってきた原稿は面白かった。週刊誌の記事としては悪くない。まず内館に見て貰おうとファックスを送ると、すぐに電話が掛かって来た。
「あなたが書いたんじゃないでしょ?」
彼女は週刊誌の記事の作り方をよく知っていた。
「現場にいなかった人が書くとニュアンスが違うわね。これじゃ、勝さんに見せられない。今からやり直してって、頼み直すのもね……私が書き直すわ」
内館は脚本家として、多くの仕事を抱えていた。そんな中、自らが書き直すというのは、あの場所に居合わせた面白さを伝えたいという気持ちからだろう。
数時間後、内館から送られてきた原稿は、あの場の空気が上手く取り入れられていた。さすがですねと思わず感想を漏らすと、
「私は、OL時代、対談の記事をずっと書いていたのよ」
と返した。内館は、脚本家となる前、三菱重工業に勤務し、広報誌に携わっていた。そして、彼女の書き直した原稿を勝プロに送ることにした。
ところが翌日、編集部に行くと、ぼくは頭を抱えてしまった。勝が細かく書き込みを入れた原稿がファックスで送られてきていたのだ。妻の玉緒に配慮したのだろう、特に女性に関する部分が削られていた。勝プロに電話を入れると、勝はどうしても原稿を直して欲しいという。
とにかくすぐに内館に連絡することにした。すると「どうしてなの」と不平をこぼしながら、「勝さんだから仕方がないね。でもこういうことは普通はないことだって勝さんにちゃんと伝えておいてね」と我慢してくれた。
この時ぼくは勝と仕事をすることの厄介さをまだ理解していなかった。
〈明日公開予定の後篇に続く〉
田崎健太(たざき・けんた) 1968年京都生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、99年に退社、ノンフィクション作家に。近著に『真説・長州力』『球童 伊良部秀輝伝』などがある。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員
著者: 田崎健太
『偶然完全 勝新太郎伝』
(講談社+α文庫、税込み961円)
こんな痛快な男はもうどこにもいない!最後の「弟子」が描く、「最後の役者」勝新の真実とは---。吉田豪による解説がついた豪華文庫版
なぜ勝新太郎は、日本人に愛され続けたのか
~最後の弟子が明かす、「昭和最後の豪傑」の素顔
田崎健太『偶然完全 勝新太郎伝』
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45902
勝新太郎(1931-1997) 写真:操上和美
日本が誇り、日本人が愛してやまなかった名優・勝新太郎。今年は、代表作のひとつである『兵隊やくざ』シリーズ一作目の公開からちょうど50年となる。勝を慕った人の数は計り知れないが、「最後の弟子」と呼ばれたのが、ノンフィクションライターの田崎健太氏だ。
週刊誌記者時代に勝新太郎の人生相談の連載を担当した田崎氏は、晩年の勝新と濃密な時間を過ごすことになる。知られざる勝の「素顔」をまとめた『偶然完全 勝新太郎伝』が、10月21日に発売された。本書の中から、勝新との強烈な出会いが描かれた部分を特別公開する!
■「お前、勝新の連載担当になれ」
1994年、週刊誌が激しい部数争いを繰り広げていた時代。『週刊ポスト』の若手編集部員だった筆者は、ある日突然、部内で閑職的扱いを受ける「連載班」への異動を言い渡される。不貞腐れる筆者はまだこのとき、自分が昭和最後のスターの「最後の弟子」になるとは思いもしなかった――。
週刊誌の激しい部数争いの渦中にいることに愉しみを覚えていたぼくにとって、連載班への異動は屈辱だった。
班異動を告げられた翌日、いつもより早めに編集部に行った。午前中の編集部には人はほとんどおらず、一番前の長机の前で編集長がぼんやりと座っていた。ぼくが机を片付けていると、編集長から手招きされた。
「お前、連載班に回されたと不貞腐れているのか?」
「ええ……、まあ」
ぼくが頷くと、編集長は苦笑した。
「これにはちゃんと意味があるんだ。勝新の連載をやる。そのためにお前を連載班に回したんだ」
「勝新?」
思ってもいなかった名前だった。
「勝新って、あの勝新ですか?」
「そう、勝新太郎の人生相談を始める。他はやらなくていい。勝さんにくっついて、色んなことを学んでこい」
あの勝新と一緒に仕事が出来る。前夜の不機嫌な酒が一瞬にして吹き飛んだ。
勝新太郎の映画をそれほど見ていた訳ではない。ぼくにとって、彼は銀幕の中の俳優というよりも、テレビのワイドショーに出ている男だった。
1989年に公開された『座頭市』は成功し、続編が準備されるようになった。その人気を当て込んで、麒麟麦酒は勝を「キリンラガービール」のコマーシャル『ラ党の人々』のメインキャラクターに起用した。
勝の演じる中小企業の社長は亡き妻の四十九日法要の後、ビールを飲みながら、若い秘書との結婚を切り出す。突然の父親の再婚宣言に、子どもたちは動揺するというのが第一話だった。秘書に松坂慶子、長女に手塚理美、その夫に国広富之、次女に富田靖子が配された。
演出はつかこうへいが手がけ、一年間で完結。つかは勝と仕事が出来ることを喜び、同じ設定と配役で映画を撮りたいと話していた。勝の人生の歯車は再びいい方向に回り始めたように見えた。
ところが──。
■「大麻で逮捕」事件の舞台裏
第一話のコマーシャルが流れ始めた翌日の1990年1月17日(現地時間1月16日)、勝はハワイのホノルル空港で逮捕された。大麻9.75グラムとコカイン1.75グラムの入った小さな袋を下着の中に隠し持っていたのだ。1000ドルの罰金刑で即日釈放されたものの、コマーシャルは一日で打ち切りとなった。
国外退去処分を受けた勝は不服を申し立てて、ハワイに滞在し続けた。日本に帰ってくれば、麻薬を持ち出した容疑で取り調べられる。それを避けるためだと言われていた。
勝が日本に戻ったのは、事件から1年4ヵ月後、翌91年5月12日だった。ハワイからの帰りの飛行機の中でビールを飲みながら「大統領や海部首相の代わりは出来るけど、勝新太郎の代わりは誰が出来るんだ?」と同乗した報道陣に話した。大きなつばの帽子にサングラスを掛けて空港に降り立つ勝の姿は大きく取り上げられた。
5月21日、勝は麻薬・大麻取締法違反で逮捕された。問題となる入手先については、飛行機の中で見知らぬ人から大麻とコカインを受け取ったと勝は言い張った。
『週刊文春』に掲載された勝の手記には、取り調べの検察官とのやり取りが再現されている。
〈「あなた自分で言っていることが信じられますか」
「信じられません」
「うそだからです。もし本当ならもっと一生懸命自分を助けようとする力が働くはずだ」
「わかりません」
「他人がモノをプレゼントしてくれたら、顔を見るかお礼くらい言うでしょう」
「見なかった」
「あなたはそんな人を最初から見ていない。つまり現実にはそんな人はいなかった」
「いました」
「知り合いですか」
「違います」
「顔も見ていないのに、知り合いかどうかどうしてわかるんですか」〉
ふざけたやり取りである。取り調べの検察官が苛立ったであろうことは想像できる。
92年3月27日、勝は、懲役2年6月、執行猶予4年の有罪判決を受けた。そこで勝はこう言った。
「今後はパンツをはかないようにする」
大麻事件などを起こした芸能人の場合、記者会見では一様に「申し訳ありませんでした」と頭を下げる。しかし、誰に対して申し訳なかったというのか、はっきりしない。
事件の影響を被った仕事関係者に謝罪するのは分かる。しかし、「お騒がせして申し訳ありません」と言うのはどうだろう。騒いでいるのは報道陣である。
カメラの向こうに視聴者がいるとしても、報道陣に頭を下げるのは違和感がある。反省した顔を見せて、批判の声が通り過ぎるのを待っているだけなのだ。
しかし、勝は違っていた。国家権力を相手に冗談で混ぜ返して煙に巻こうとしていた。俳優としてよりも、ぼくは彼に人間として興味があった。
■「俺は絶体絶命のところで遊びたい」
ぼくが連載班に配属されると、脚本家の内館牧子と勝との対談記事を掲載し、翌週から連載が始まることが決まっていた。対談場所は溜池の交差点に近い、しゃぶしゃぶの店だった。
7月に入って、気温は30度を超える日が続いていた。この日も暑く、太陽が落ちても道路は熱を持っていた。むっとした空気をくぐって地下の店に下りていくと、すでに内館が待っていた。
「『不知火検校』はすごかった。勝さんに会えるのならばと一時間も前に着いていたのよ」と彼女は興奮気味だった。
勝は94年5月から6月に掛けて、十年ぶりの舞台となる『不知火検校』を銀座のセゾン劇場で上演していた。ぼくたちが会ったのは、その直後だった。
勝は約束の時間を少し過ぎてゆっくりと階段を下りてきた。ハワイから帰ってきた時と同じように、つばの広い帽子を被っていた。白い柔らかそうな生地のシャツを第二ボタンまで開けて、メキシコ映画の登場人物のようだった
「俺としゃぶしゃぶか? 一つ〝シャブ〟が多いんじゃないか?」
にっこりと笑うと、席に着いた。サングラスを外すと大きな目が印象的だった。
「勝さん、今度『ポスト』で人生相談を始めるんですって?」
内館が口を開いた。
「知らないよ。人生相談なんて、俺がお願いしたいもんだよ。執行猶予四年の俺に人生相談するというのが面白いと思って引き受けたんだ」
勝は笑った。
「捕まった時、反省した顔をしなきゃいけないと思って、鏡を見た。反省した顔ってどんな風だろうとやってみたんだけれど、どうも上手くいかない。俺は反省に向いていない顔をしているんだな」
内館は勝の著書『俺 勝新太郎』を取り出した。「この本の中に凄く好きな文章があった」内館は本を開くと、声に出して読み始めた。
「俺の人生は年がら年じゅう、切羽詰まっている。人生の落伍者にいつなるかと楽しみながら、心配して歩いてきた」
神妙な顔で聞いていた勝は、「そんなこと書いたっけ? 全然覚えていない」と冗談っぽく返した。
「人生を踏み外すのは楽しいと言う人は多い。いい格好してね。でも勝さんみたいに、心配してとはなかなか言えない。ここが逆に男っぽくて素敵だった」
「あのね、人生っていうのは、俺から見りゃ、東海道を歩いている人の方が間違っているんだよ」
「東海道ですか?」ぼくは口を挟んだ。
「そうだよ、あの東海道だ。広くてみんなが通る道だよ」
東海道というのは、誰もが安全だと思う生き方を表しているようだった。
「こういう風に、いつ落ちるか分からないところに自分を置くとする」
勝はビールが入っていたグラスを手に取ると、底が半分以上、テーブルの外にはみ出すように置いて、ゆっくりと手を離した。
「落ちますよ」
内館が小さく叫ぶと、勝はグラスを両手でさっと掴んだ。
「こういう風になった時の遊びがしたいんだ。絶体絶命のところで遊びたいの。子どもの頃から、高所恐怖症なのに断崖絶壁みたいなところに行くのが好きだった。もう、これ以上後ろには行けないという時に遊ぶ。これをやったら落っこちちゃうなんていう時に、わくわくしてくるんだね」
■内館がつけた連載タイトルの意味
勝はぼくをじっと見た。
「行ってはいけない道があるとする。どうしてなんだと聞いても理由は分からない。ただ、この道を行って帰ってきた人はいないという。じゃあ、行ってみよう。それが俺なんだ。行って落っこちてもいい。でも行かないと落ちるということも分からない」
勝の大きな目は綺麗で、吸い込まれそうな目とはこんな目のことを言うのかと思った。
「落ちることもあれば、道を踏み外すこともある。踏み外して、ここをぶつけたとする」
勝は膝を叩いた。
「痛いという顔をしちゃいけないんだ。痛いという顔をしてもしなくても、どっちにしろ痛いんだから。そんなら、この痛み大好きっていう顔をするんだよ」
ハワイで逮捕されて帰ってくる時に、強気の発言で通したのは、こういう気持ちだったのだろう。
「痛み、失敗というのは大切なんだよ。人間は自分が痛い思いを経験するから、人の痛みも分かる。情を知る訳だ。情を知ると、自分が不幸になっても人には幸せになって欲しいと思うようになれる。少しぐらい自分が不幸になってもいいという考え方が出来るようになる」
仕事中であるので、ぼくは酒を控えるつもりだった。ところが「飲めるんだろ」と勝からすすめられ、ぼくはグラスを重ねた。黄金色のしゃぶしゃぶ鍋で食べる肉は美味だったはずだ。しかし、その記憶はほとんどない。とにかく勝の話に聞き入っているうち、あっという間に二時間以上が過ぎた。
「今後は、ぼくが勝さんのところに伺って、お話を聞きます。色んな質問が来ると思います。中にはつまらない質問もあるかもしれません」
最後にぼくが言うと、勝は小さく頷いた。
「そういう質問もあるだろうな。落ち葉は秋風を恨まないって知っているか?」
「落ち葉は秋風を恨まない?」
「そうだ。この間の座頭市の映画でも科白に使った。風が吹かなければ、落ちなかったのにって恨む人間は多い。でも落ち葉は恨まない。人間っていうのは、何か恨むところが欲しいんだ」
一つ一つの言葉が面白かった。今まで会ったことのない種類の人間だった。多くの人間の例に漏れず、ぼくは初対面から彼に惹きつけられてしまった。
人生相談のタイトルは内館がつけてくれた。
〈何処で果てよと〉
何処で果てよと誰が泣く──歌の一節にもなっている、座頭市の生き様を表した言葉である。
■内館を怒らせた勝
『週刊ポスト』のほとんどの記事は、現場を取材した記者が書いたデータ原稿を元に、社員編集者が構成を考え、アンカーマンと呼ばれるフリーランスの書き手が記事にまとめていた。この対談も、録音テープを文字に起こしたものを元に、ぼくが構成してアンカーマンに原稿を依頼した。
上がってきた原稿は面白かった。週刊誌の記事としては悪くない。まず内館に見て貰おうとファックスを送ると、すぐに電話が掛かって来た。
「あなたが書いたんじゃないでしょ?」
彼女は週刊誌の記事の作り方をよく知っていた。
「現場にいなかった人が書くとニュアンスが違うわね。これじゃ、勝さんに見せられない。今からやり直してって、頼み直すのもね……私が書き直すわ」
内館は脚本家として、多くの仕事を抱えていた。そんな中、自らが書き直すというのは、あの場所に居合わせた面白さを伝えたいという気持ちからだろう。
数時間後、内館から送られてきた原稿は、あの場の空気が上手く取り入れられていた。さすがですねと思わず感想を漏らすと、
「私は、OL時代、対談の記事をずっと書いていたのよ」
と返した。内館は、脚本家となる前、三菱重工業に勤務し、広報誌に携わっていた。そして、彼女の書き直した原稿を勝プロに送ることにした。
ところが翌日、編集部に行くと、ぼくは頭を抱えてしまった。勝が細かく書き込みを入れた原稿がファックスで送られてきていたのだ。妻の玉緒に配慮したのだろう、特に女性に関する部分が削られていた。勝プロに電話を入れると、勝はどうしても原稿を直して欲しいという。
とにかくすぐに内館に連絡することにした。すると「どうしてなの」と不平をこぼしながら、「勝さんだから仕方がないね。でもこういうことは普通はないことだって勝さんにちゃんと伝えておいてね」と我慢してくれた。
この時ぼくは勝と仕事をすることの厄介さをまだ理解していなかった。
〈明日公開予定の後篇に続く〉
田崎健太(たざき・けんた) 1968年京都生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、99年に退社、ノンフィクション作家に。近著に『真説・長州力』『球童 伊良部秀輝伝』などがある。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員
著者: 田崎健太『偶然完全 勝新太郎伝』
(講談社+α文庫、税込み961円)
こんな痛快な男はもうどこにもいない!最後の「弟子」が描く、「最後の役者」勝新の真実とは---。吉田豪による解説がついた豪華文庫版

