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zoom RSS 【時流自流】報道写真家・福島菊次郎さん、嘘で始まった戦後〔2013年9月29日(日) 神奈川新聞〕

<<   作成日時 : 2013/10/01 08:56   >>

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【時流自流】報道写真家・福島菊次郎さん、嘘で始まった戦後
カナロコ by 神奈川新聞 9月29日(日)15時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130929-00000017-kana-l14





画像 菊次郎さん、自嘲するように笑うのだった。「僕なんかさ、92歳になって、ガンもあって、目方(体重)も36キロ。もう駄目だよ」。ゆったりの語り口、耳は遠く、足腰も弱くなった。視力の衰えた眼は、それでも眼鏡の奥から一点を捉えて揺るぎない。

 この国の嘘(うそ)−。

 孤高にして伝説の報道写真家が確かに目の前にいた。

 ■終戦
 被爆者、学生運動、成田闘争、あさま山荘事件、そして3・11後の福島と為政者の欺瞞(ぎまん)、権力の横暴にあらがう人々に肉薄してきた。一カット一カットがあぶり出す「この国を覆うニッポンの嘘」。それは1945年8月15日に始まっているという。

 二等兵として終戦を迎えた宮崎・日南の浜辺で、松の木にくくりつけられたラジオから流れた「終戦の詔勅」、いわゆる玉音放送。

 「『敗戦』ではなく『終戦』だった。戦争に負けたのなら責任が出てきてしまうけれど、終戦なら勝ったか負けたか分からないでしょ。すると天皇、軍人、官僚、つまりこの国を戦争に投げ込んだ者たちの罪も帳消しになる」

 言葉の問題ではない。戦争の大元帥たる天皇が責任を取らない。戦争放棄と戦力不保持をうたう憲法9条がありながら自衛隊を持つ。非核三原則を掲げつつ米国の核の傘に守られる。68年を重ねた戦後社会の矛盾の原点を、そこに見る。「そういうのって、おかしいじゃん」

 うやむやにされ、隠されているものを引っ張り出す−。ジャーナリストとしての真骨頂は、広報役をただで買って出たふりをして防衛庁をあざむき、自衛隊と兵器産業の現場に潜入、その実態を雑誌で告発した逸話に伝わる。タイトルは「武器よさらば」。直後に暴漢に襲われ、自宅を不審火に焼かれてもシャッターを切り続けた反骨の人が語る「おかしいじゃん」が重い。

 ■怨念
 「僕が反戦を唱えるようになったのは思想とか概念ではなく、怨念から」

 話は再び昭和天皇に戻る。

 「軍隊生活で本当に惨めな目に遭った。そのことに対する怨念がある。僕は二等兵、天皇は大元帥だった」。本土決戦に備え、爆弾を背負って戦車に飛び込む決死隊に配属された。鉄かぶとや銃などの装備はなく、わらじ履き。「そんなので本土決戦なんかやれるわけがない。でもやろうとした」。天皇のために死ぬと思い定め、多くの若者が命を落とし、果ては2発の原爆が投下された。

 胃がんが見つかった88年、病室のテレビは昭和天皇の容体を連日伝えていた。いてもたってもいられなくなった。「このままトンズラされてたまるか」「先には死なんぞ」

 退院を早め、胃が3分の1しか残らない体で、撮りためた作品をパネルに焼いた。「天皇の戦争責任展」と銘打ち、全国で巡回展を開催した。

 フォトジャーナリストとしての原点は後遺症に苦しむ被爆者を追った日々。地獄の光景がよみがえったか、語り口が熱を帯びる。「自分が始めた戦争で殺された国民なんだから、広島の慰霊碑の前に土下座して『すまんかった』と言うべきだった。でも、そういう罪の意識はなかった。多くの日本人もそうなの」

 75年、訪米した昭和天皇の帰国後の記者会見も忘れられない。海外の記者が「陛下ご自身、戦争の責任についてどのようにお考えですか」と聞くと、「そういう言葉のアヤについては文学的方面は研究していないので、分かりませんからお答えできかねます」。

 その命令で死ぬかもしれなかった元二等兵としては、到底納得のいく答えではなかった。

 ■危機
 では、「戦後レジーム(体制)の脱却」を掲げる戦後生まれの宰相、安倍晋三首相はどう映るのか。「いよいよ本格的な危機が迫っているという恐怖感がある」

 アジアへの侵略を否定するかのような歴史観、憲法の改正、あるいは解釈変更によって、地球の裏側で戦争に加わる道を開く集団的自衛権の行使容認への執着。

 「アジア諸国は日本に必ず復讐(ふくしゅう)をする。だって戦争の反省なんかしていないでしょ。悪いことをしたことをみんな忘れているでしょ」。足を踏んだ側は忘れても、踏まれた側は忘れない。武力によるものとは限らない復讐は、孤立という形ですでに始まっているかもしれない。

 菊次郎さんは絶望を語るのをやめない。「日本はいっぺんやられないと分からないかもしれない。いや、2度、3度やられないと駄目か。あれだけ大負けしても分からなかったのだから」。では、どうしたらよかったのか。「過ちを繰り返さないよう作られた憲法をよりどころに戦後をたどれば、このような社会にはならなかった」

 責めるような響きではない。ここに至るには「格好ばかりで何もしてこなかったマスコミ」にも責任の一端があり、そこには自身も含まれていると考えている。その他大勢のジャーナリズムとは一線を画する仕事を成し、やがて保守化していくマスコミから干されるようになったにもかかわらず、である。

 80歳になってから、文章を書き残すようになった。「僕は言葉を持ったばかり。初々しいでしょ」。今春、過去に刊行した12冊の写真集をまとめた「証言と遺言」に、こうつづった。

 〈また同時に恐ろしく感じるのは、現在の世相が、ここに写された時代に戻ろうとしつつあることである〉
 抵抗の巨人は目を見開き続ける。嘘という真実を見据えてきた矜持(きょうじ)を、そこに見た。

 ●ふくしま・きくじろう 1921年、山口県生まれ。46年に広島で被爆者の撮影を始め、60年に発表した「ピカドン ある原爆被災者の記録」で日本写真批評家協会賞特別賞を受賞した。安保闘争や東大安田講堂攻防戦、あさま山荘事件など、戦後史の現場に立ち続け、成果は「戦争がはじまる」など13冊の写真集として結実した。

 ◆92歳の報道写真家 福島菊次郎展 67年に及ぶキャリアで撮影した25万枚以上の中から戦後史の激動の現場を捉えた作品など約80点を展示。報道写真家としての仕事の全貌を紹介するとともに人間・福島菊次郎を浮き彫りにする。日本新聞博物館(横浜市中区日本大通)で10月20日まで。午前10時〜午後5時で月曜休館(月曜が祝・休日の場合は翌日の平日)。入館料は一般・大学生500円、高校生300円、中学生以下無料。

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